日税グループは、税理士先生の情報収集をお手伝いします。日税ジャーナルオンライン

MENU

マラソン塾

番外編 最強市民ランナー川内優輝②

2018/05/25

 今回も前回に引き続き、川内優輝選手について書きたいと思います。今回は大会結果を中心に時系列でご紹介。

<自己ベスト~2大会連続サブテンの2013年>
 
2013年2月の別大の走りでモスクワ世界陸上のマラソン代表に選出された川内選手。ソウル国際で自己ベストをマークした後も、4月の長野、7月のゴールドコーストと優勝を重ね、様々な大会に出場しながら世界陸上に合わせていきます。


 しかし世界陸上モスクワ大会では夏の暑さに対応できず、総合18位と悔しい結果となりました。

 その後、年末の福岡国際マラソンでは2時間09分05秒で日本人トップの3位、その2週間後の防府読売マラソンでは2時間09分15秒の2位と、わずか中13日での連続サブテンをマーク。特に福岡では海外招待選手を相手に中間点を過ぎて自らスパート。勝ちにいく積極的な姿勢を見せるなど、強さが際立ったレースで翌年のアジア大会のマラソン日本代表に選出されました。

 ちなみに私、2時間13分台の記録を出したことで、数々の大会に招待されるようになったのがこの年。そして『招待選手』として川内選手と肩を並べる機会が増えました。

 大きなマラソン大会では大会前夜のウェルカムパーティや大会後にフェアウェルパーティが開かれますが、招待選手のテーブルには川内選手と私、そして実業団選手が数名~10名ほど並びます。実業団選手が乾杯後、選手紹介などを終えると早々にいなくなってしまう一方、川内選手はレース前夜でも最後まで残り、ご飯を食べながらもファン対応。そして肝心のレースでも結果を残す姿に感心したものでした。

<アジア大会銅メダル~故障の2014年>
 2月の熊本城マラソンでは独走で2時間10分14秒の快走を見せ、迎えた3月のびわ湖毎日マラソン。しかし結果は2時間10分38秒と熊本のタイムを下回る、悔しいものになりました。

 5月のハンブルクマラソンでサブ10を記録し、10月には優勝を狙って仁川アジア大会に出場。レースは3人の争いでトラック勝負までもつれ込むも、結果はトップと4秒差の3位。大会後、2015年の世界陸上北京大会の選考レースには出ないことを宣言しました。

 年末は防府読売マラソンに照準を定め、自己ベスト更新はならずもサブテンで優勝。しかしレース翌日、激しい捻挫をしてしまい、翌年のシーズンは苦戦を強いられることになりました。

<故障に苦しんだ2015年>
 この年、川内選手は故障に苦しみます。怪我を押してのレースが続き、フルのシーズンベストは2時間12分台。
 
 11月のニューヨークマラソンで6位入賞(2時間13分29秒)、上尾ハーフで1時間03分11秒と調子を上げて福岡国際に挑むも、序盤に足の痺れが出て早々に先頭集団から脱落。2時間12分台の結果で、リオ五輪を逃してしまいました。

<ロンドン世界陸上への2016年>
 2016年になると、徐々にその強さを取り戻していきます。7月のゴールドコーストではサードベストとなる2時間09分01秒。2017年ロンドン世界陸上を日の丸をつけて走る最後のレースと位置付け、そのための選考レースとなる福岡へ気持ちを切り替えていきます。

 しかしレース前月、右ふくらはぎを故障。レース2週間前に調整で出場した上尾ハーフでは、ジョグでしか出場できない状態でした。ようやく癒えてきたところでレース2日前に足を捻挫し、絶望的ともいえる状態で福岡を迎えました。

 しかし福岡では、本人も『奇跡が起きた』というほどの走りを披露。当日の天候は雨。身体が冷えるコンディションで足の痛みもマヒし、先頭集団のペースも上がらず、結果的に川内選手を助けることに。後半は積極的に仕掛けてレースを進め、終わってみれば2時間09分11秒で日本人トップ。晴れてロンドン世界陸上の日本代表に選ばれたのでした。

PAGE TOP