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トラブルは現場で起きている!

イエスの方舟がたどり着いた場所

2020/11/24

 東京駅15番線の博多行き夜行特急列車「あさかぜ」に乗り込むところを目撃された二人の男女が、福岡県の博多から小倉に向かって三つ目の駅である香椎(かしい)駅の近くで情死と思われる死体となって発見される。今から60年以上も前に書かれた松本清張の『点と線』は、今もその鮮烈さを失っていません。

 東京駅の13番線プラットフォームから15番線プラットフォームが見えるのは、1日の中で17時57分から18時1分のわずか4分しかない。その4分の間に目撃させることを画策した人物が怪しいと刑事は睨み、やがて情死の現場となった香椎に、2組の男女が現れたのではないかと刑事は疑います。

 と、ここまではフィクションの話ですが、その香椎駅の近くに、今年7月「シオンの娘」というクラブがオープンしたというのは現実の出来事です。「シオンの娘」は、今から40年ほど前に“ハーレム教団”などと呼ばれて騒動となった「イエスの方舟」事件のメンバーたちが、博多の歓楽街中州で開業。38年間営業したあと、建物の老朽化で店を畳み、香椎で営業を再開したのです。

 1970年代後半、騒動の舞台となった「イエスの方舟」は、当時50代の千石イエスこと千石剛賢が主宰していた信仰集団でした。信者たちは若い独身女性が多く、やがて共同生活を始めるようになりましたが、信者の親たちが「娘を返せ」と迫ったため、世間の目を避けて全国を転々と逃避行をするようになりました。そのため、若い女性を誘拐し、ハーレムにしているカルト教団ではないかと騒がれるようになりました。

 やがて、その誤解は解けましたが、福岡に流れ着いていたメンバーたちは、集団生活の糧を得るため、1981年、クラブ「シオンの娘」を中州に開業したのでした。といっても、多くは水割りの作り方さえ知らない素人でした。女性たちは酒の作り方や接客の仕方を必死で身に付け、やがて独特のショーをやるようになり、話題性もあって、繁盛店となりました。

 2001年に千石イエスはこの世を去りましたが、「イエスの方舟」事件は、人々の記憶の底に今も残っています。そして「イエスの方舟」のメンバーたちは、あの『点と線』の舞台となった香椎で「シオンの娘」の営業を続けながら信仰を守り続けています。

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