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トラブルは現場で起きている!

解散命令を受けた明覚寺の事件とは

2023/10/24

 旧統一教会に対する解散命令の請求が、10月13日東京地裁に出されました。これまでに解散命令を受けた宗教法人は二つしかありません。オウム真理教と明覚寺です。オウム真理教はともかく、明覚寺の事件とはどのような事件だったのか、あらためて振り返ってみましょう。

 事件の首謀者の西川義俊は、1940年生まれで、大阪府立大学経済学部を卒業したあと、大手製薬会社に就職して営業マンとして働いていました。しかしそのうち会社勤めにも限界を感じ、脱サラして避妊具などの訪問販売を始めます。しかし、そんなものがうまくいくわけがありません。苦境を乗り切るために西川が目を付けたのが宗教ビジネスでした。

 1984年に千葉県野田市に水子菩薩を扱う販売会社を設立、一方で京都の真言宗醍醐派の寺に通い1985年に修験道教師となり、1986年には剃髪して得度を受け僧侶となりました。1987年に醍醐寺の末寺として茨城県太子町に宗教法人「大覚寺」を設立し、「霊視商法」を始めました。

 それは、3,000円で霊視するといってチラシで人を集め、来た人には『水子の霊が取り付いているから、家族が不幸になる』、『水子を供養するために百万円払いなさい』などと脅して供養料をせしめるやり方でした。供養料は最低でも1回65万円、多いときは数百万円にも及んだといいます。

 1992年には休眠状態だった高野山明覚寺を再興し、これを本山として、全国各地に系列の寺を次々に開設しました。これらの寺は宗教ビジネスの営業所で、供養料獲得のマニュアルが供えられ、避妊具訪問販売員が扮した霊能者が配置されていました。これら霊視商法の拠点は全国に27か所あり、供養料として集めた金は120億円以上にも達しました。


 1995年、ついに愛知県警が強制捜査に着手し、1996年には僧侶9人と最高幹部の西川ら2人が逮捕されました。西川は詐欺罪で起訴され、1999年には有罪が確定します。これを受けて文化庁が和歌山地裁に明覚寺の解散命令の請求を行い、2年後の2002年1月、和歌山地裁は解散命令を出しました。その後、2003年4月に、最高裁で西川の懲役6年の実刑が確定し、明覚寺の事件は終息しました。

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