第10回 新しい『遺留分侵害額請求制度』は理解しがたい課税が生じる ―代償物給付は財産も取られ譲渡所得税も課せられる―
2019/08/26
■ いささか薄情な通達
令和元年7月1日、次のような通達が出ました。
「(遺留分侵害額の請求に基づく金銭の支払に代えて行う資産の移転)33-1の6:民法第1046条第1項《遺留分侵害額の請求》の規定による遺留分侵害額に相当する金銭の支払請求があった場合において、金銭の支払に代えて、その債務の全部又は一部の履行として資産(当該遺留分侵害額に相当する金銭の支払請求の基因となった遺贈又は贈与により取得したものを含む。)の移転があったときは、その履行をした者は、原則として、その履行があった時においてその履行により消滅した債務の額に相当する価額により当該資産を譲渡したこととなる。」(所得税法 第 3 3 条《譲渡所得》関係)
これは何かというと、令和元年7月1日より新しく制度化された遺留分侵害額請求制度において、受遺相続人等が、遺留分権者の請求を受けて不動産や金銭債権以外の権利を代償として給付した場合、その分につき代物弁済となるので、譲渡所得税が課税されるという通達です。
比喩的に言えば、被相続人を世話して多めに財産の相続を受けた人が、何もしなかった相続人から財産を取られ、さらに税金(住民税、譲渡所得税、復興特別税)も取られるという、これまでの制度を知る人にとっては理不尽だと言われそうな課税が登場したのです。
■ 新しい遺留分侵害額請求制度の特徴
新法は、遺留分減殺請求によって当然に物権的効果が生ずるとされている規律を改め、受遺者又は受贈者において、遺留分侵害額に相当する金銭の支払いを請求することができるとする制度に変わったのです。
かつての遺留分減殺請求制度では、減殺請求がなされますと、遺産である不動産は共有状態となり、また株式は準共有状態になって株主名簿に登録されるという、複雑な権利関係を醸成されてきましたので、これが解消されることになり、歓迎される制度とみられていました。
しかし、今回の通達は、その夢をダーク色に染めたのです。
それは、この新しい制度は、これまでと違い、例外的にも「現物引き渡し」を求めることはできなくなり、欲しくても現物は手に入らなくなったわけです。反対に、物を押し付けることもできないのです。もちろん、当事者が合意すれば、不動産を含む財産(家族信託にあっては、受益権)を遺留分侵害額請求に基づく金銭に変えて現物給付ができることは言うまでもありません。
問題は、この現物給付です。
これまでの事例では、これを合意することが多かったものと思いますが、これでもって譲渡所得税が課税されるということはありませんでした。
■ 今回の相談事例と信託受益権
この課税問題は、家族信託の場合も同じです。事例で説明します。
父親Sさん名義の広大な土地に、融資を受けてSさんご夫婦と長男のTさんが出資をして自宅も兼ねたマンションを建築して、3名の共有の建物として登記をし、これをTさんが管理するというものでした。Sさんの家族関係ですが、妻Aさん、長女Bさん、それに長男のTさんです。この不動産の管理運用について単独の意思で行うこととして、Sさん達が選択したのが家族民事信託のスキームでした。
もちろん、高齢のSさん夫婦の相続対策(合理的な方法による節税対策)をも兼ねて信託を利用したものですが、その委託者の一人の父親Sさんが死亡し、相続が始まったというのです。
信託では、受益者に対し受益権という権利が与えられます。受益権は、受託者に対して信託契約等に基づいて信託利益の給付を受ける権利、すなわち生活費等の金銭の給付を受ける「受益債権」と、受託者を監視監督する「単独受益者権」という2つの権利があります。
■ Z税理士の相続についての考え方
本件の信託は、後継ぎ遺贈型の受益者連続信託となっており、実は、第2次相続時(母親Aさん死亡時)の相続税を考慮し、後継受益者となるはずの母親Aさんには、受益権は取得させず、お子さん二人が受益権を取得するとなっていました。
しかるに、Z税理士は、信託の知識は全くないのですが、Sさんの相続に関し、それぞれの相続人の希望を聞き、相続税対策も考えて一応相続対策を取りまとめたというのです。Z税理士が考えた内容は、遺産分割の方法で、Aさんにできるだけ財産の2分の1を相続させて、可能な限り相続税を軽減したいという考え方を示されたのです。
合理的な相続税対策を考える上で、Z税理士が遺産分割の考えを持ち込まれたのは発想としてはある意味で正しい選択ともいえます。しかし、信託のことを理解しないで、強引にこれを持ち出し大ナタを振ることは危険です。どうすればよいか、考えてみます。
■ 信託の変更等でAさんに受益権を取得させることができるか
この答えは、母親Aさんに遺留分がありますので、受益権を取得させることができますが、問題の核心はどのような方法で、どの範囲まで、これができるかということになります。
この説明は、かなりのページを必要としますので、結論だけ申し上げ、詳細な説明は別の機会にしたいと思います。なお、ここではあくまでも、関係者がいかなる内容でも合意ができることを前提とし、しかも課税は極力避けるという考えに立ちます。
まず、Z税理士の相続についての考え方、純粋の遺産分割は、このままでは信託では通用しませんので、工夫が必要です。その方法として
① 長男Tさんが受益権の一部を放棄する
後継受益者は、当然に受益権を取得しますが、これを放棄することもできます。この制度を活用し、これによりその部分の受益権がTさんにおいて取得しなかったことになります(ただし、受益権の一部を放棄できるかは、疑問を呈する人も多くあります。)。
② 信託の変更で母親へ受益権を取得させる
という手法で、課税の問題も含め関係者の意思に沿う解決を図られるという考え方です。なお、この課税の問題を考えるに当たっては、やはり遺産分割をベースに考えることになりますが、この場合複雑な法律構成を考えなければなりません。ここは、法務と税務の専門家が登場しなければならないと思います。
■ さらなるしびれる考え方もある
ただし、ここで問題になるのは、上記①の受益権の一部放棄の考え方です。どの解説書等を見てもここまで踏み込んだ解説がなされておらず、受益権の放棄は全部放棄以外ないとの見解のようにもうかがわれるのです。
そこで筆者が考えたのが、最後の魔球ともいうべきものです。
それは、受益権そのものの放棄ではなく、受益権を組成する「受益債権」(できれば金銭債権のみ)を放棄し、これを信託の変更により遺留分権者に取得させるというものです。これは、解説書の中に、「これまでに受けた給付はそのままにして、将来に向かつてのみ受益者として給付を受ける権利を放棄したい場合には、残存するすべての受益債権を放棄することが可能であるとされている」(道垣内弘人編著「条解 信託法」497頁)との考え方を見出したからです。
この考え方が可能となれば、これを相続開始時に対応して処理するのです。しかも、当該受益債権が金銭債権であれば、代物弁済とはならないという主張をして、譲渡所得税の問題も解決したいという発想です。
この点は更なる検討が必要となります。これからは遺留分の問題は、いささかやっかいですので、遺言や家族信託ではこの問題は避けられるように制作したいですね。