「余命3か月」から奇跡の回復 がん患者を支えたい思いから社労士として第二の人生を歩む
2025/09/08
社会保険労務士事務所 Cancer Work-Life Balance
代表 社会保険労務士 清水 公一 氏

清水公一氏は、長男が生まれて2か月が経った頃、医師から肺がんを宣告された。一時は余命3か月と告げられたが、新薬との出会いにより奇跡的な回復を遂げた。闘病中、会社の休職制度などに支えられ、今度は自分が支える側になりたいと、社会保険労務士の資格を取得。現在は、がんと向き合う人々の就労や生活を支える活動に尽力している。
――がんが見つかった時のことを教えてください。
2012年10月、転職のタイミングで受けた入社前の健康診断で、肺に3~4センチの腫瘍が見つかりました。当時、私は35歳で、長男は生後2か月半だったので、肺がんと告知されたときはショックでした。ただ、ステージは初期段階の「1b」で、5年生存率は75%程度だと聞き、「手術をすれば治るはず」という比較的前向きな気持ちで受け止めることができました。転職先の会社からも「手術をして働ける状態になったら、いつでも入社できるように準備しておきます」と言っていただけたことが心強く、安心して治療に専念できました。
――その後、治療を終えて転職先に入社されたわけですね。
はい。ただ、その1年後に肺がんを再発してしまいました。しかも、副腎に遠隔転移が見つかり、さらには脳への転移も確認されました。病状はステージ4となり、当時の肺がんの5年生存率は5%未満です。抗がん剤治療も根治を目指したものではなく、延命を目的とした治療になると説明され、非常に厳しい現実を突きつけられました。
――ご家族も心配されたのではないでしょうか。
副腎への転移が見つかったときは、心配させたくなかったので、「ちょっと手術してくるわ」と軽く伝えました。でも、脳への転移が分かった頃には左半身に麻痺が出ていて、靴紐が結べなかったり、まっすぐ歩いているつもりでも体が傾いてしまう状態でした。その様子を見て、妻も「この人、本当に危ないのかも」と思ったようです。そして、標準治療が効かなくなり、2016年に癌性髄膜炎を発症し、かなり危険な状態に陥りました。主治医から「もってあと3ヶ月くらい」と告げられた時は、本当に真っ暗になりました。
――そんな危険な状態から、どうやって回復されたのでしょうか。
ノーベル賞を受賞された本庶佑先生が開発に関わった免疫チェックポイント阻害薬「オプジーボ」が承認され、試してみたところ、驚くほどの劇的な効果が現れたのです。もし、この薬が間に合っていなければ、今の私はいなかったと思います。オプジーボの使用を終えて、すでに5年が経ちますが、後遺症は少し残っているものの、体調はとても安定しており、現在は経過観察ということで定期的に検査を受けています。
――まさに奇跡のようなお話ですね。ご家族も安心されたのでは。
はい。家族も本当に安心してくれました。ところが、昨年11月に大腸がんが見つかってしまって・・・ただ、これは肺がんの再発や転移とは関係ないもので、ステージ1の早期発見だったため、すぐに切除し、今はまったく問題ありません。妻からは「あなたにとっては、こんなのかすり傷みたいなものでしょ」なんて冗談まじりに言われて、私も「確かにそうだなと」と笑ってしまいました。がんとの闘病を通じて、家族みんな、本当にたくましくなったと思います。
――がん治療にかかる医療費の負担はどう感じましたか。
会社員時代は、健康保険組合の「付加給付」制度のおかげで、高額療養費制度に上乗せされた保障が受けられたので、自己負担はかなり軽減され、とても助けられました。しかし、個人事業主になってから大腸がんで入院した際には、医療費の自己負担の大きさに驚きました。会社員時代との違いを痛感しましたね。
――医療費の自己負担はどのようにカバーされましたか。
父親をがんで亡くした経験から、「自分もいつかなるかもしれない」と思い、がん保険に加入していました。治療中は身体のことが不安ですが、そこに経済的な不安まで重なると、精神的にも非常につらいと思います。がん保険に入っていたことで、「この先、治療費を払っていけるのか」という不安がなくなり、経済的にはもちろん、気持ちの面でも本当に救われました。人それぞれ考え方は違いますが、万が一に備えて民間の保険などで何らかの準備をしておくことの大切さを私は実感しています。
――仕事と治療の両立については、どうお考えでしたか。
ステージ4と診断された時、家族を養うために「このまま仕事を続けられるのか」という経済的な不安がありましたが、限られた時間を家族と一緒に過ごしたいという思いも同じくらい強かったですね。葛藤する中、どうにか解決できる方法はないかと調べた結果、就業規則の中に休職制度があることを知りました。その制度を利用し、安心して治療に専念しながら、家族とのかけがえのない時間を過ごすこともできました。その時期の私は、とても自分らしく生きられたと感じています。
――自分で調べないと、制度の存在すら知らないことも多そうですね。
本当にそうだと思います。特に、制度の有無や内容は会社によって異なりますので、自分自身でしっかり調べる必要があります。また、私は障害年金を受給することができましたが、こうした公的保障は自ら申請しないと支給されません。制度を知らなかったために、もらえるはずの給付を受け取れなかったという人も少なくないと思います。そのようなことを考えているうちに、自分の経験を活かし、仕事と治療の両立やお金の不安を抱えているがん患者さんの力になりたい、奇跡的に助かった命を誰かのために役立てたいと強く思うようになり、そこから社労士になる勉強を始め、資格を取得しました。
――がんの経験をきっかけに社労士を目指されたわけですね。現在はどのような活動をされていますか。
がん患者さんを対象とした就労支援や障害年金の申請サポートなど、「がん専門の社労士」として活動しています。また、セミナーやイベントを通じた啓発活動にも力を入れています。アフラックが提供する「よりそうがん相談サポート」というサービスがありますが、就労や社会保障に関する悩みがあった時に相談ができる専門家の一人として私も関わっています。がん患者さんが「知らなかった」ことで不利益を被ることがないように、正しい情報発信と丁寧なサポートを心がけています。
――最後に税理士先生にメッセージをお願いします。
個人事業主には、十分な保障制度がないのが現実です。高額療養費制度の見直しの議論も行われていますので、公務員や大企業のように手厚い制度がない人には、ますます厳しい状況になるかもしれません。長期療養が必要になれば、家庭が崩壊するリスクすら出てきます。税理士の先生方や顧問先の中にも個人事業主の方が多くいらっしゃると思います。だからこそ、病気に備えておくことは今後より重要になってくるとお伝えしたいです。備えあれば憂いなしー、この機会に、ぜひ一度考えていただけたら嬉しいですね。