学校法人の理事長が見た天国と地獄
2024/03/08
人口8万人の飛騨高山に毎年60万人以上の外国人観光客が押し寄せるといいます。東京から4時間以上もかかる陸の孤島ともいうべき飛騨高山が、インバウンドに成功したのはなぜでしょうか。飛騨高山ブランド戦略に学べと日本各地からも人がつめかけます。
この地域で唯一の私立高校、高山西高校を運営する学校法人飛騨学園の下屋浩実理事長が教育振興功績で秋の褒章を受けたのは、2023年11月のことでした。
下屋理事長は、学園創設者の孫の夫で、2007年に理事長に就任し、高山西高校の校長も20年間務めていました。また、岐阜県の私立学校審議会長のほか、全国高体連のアーチェリー専門部長も務めていましたので、学校関係者からは出張が多いという印象を持たれていました。秋の褒章のインタビューでは、アーチェリーの全国大会に決勝で負けた生徒が自分の前に来て涙をぼろぼろ流したときのことが忘れられないと語り、「あの子は本当にがんばったんだなと、今でも思い出す」と目を細めて、受章に満面の笑みを浮かべる理事長の写真が大きく報道されていました。
しかし、下屋理事長がいわば得意の絶頂にあったこの時、すでにその足元には奈落が口を開けて待っていたのです。2023年9月に税務調査に入った名古屋国税局は、理事長が「出張」などと偽って、生徒の授業料や県の補助金などからなる学園の資金を私的に流用し、個人的な旅費や飲食費などに充てていた事実をつかんでいました。これは理事長への給与と認定され、所得税の源泉徴収漏れとして重加算税の対象になると指摘されました。もっとも、学園の経理責任者でもあった理事長が、これを関係者に知られることなくひそかに処理してしまおうと考えていたとしても不思議はありません。
ところが、翌12月に名古屋国税局が発した重加算税の通知が学園に届き、不審に思った学校関係者が調べたことが、理事長の不正が明るみに出るきっかけとなってしまったのです。
年が明けた2024年1月20日には学園の緊急理事会が開かれ、即座に理事長の解任が決定されました。下屋理事長は、「すべて私が悪い」「私の責任です」と謝罪し、返済の意向を示しているそうですが、わずか3か月の間に得意の絶頂から奈落の底へと転落した理事長の心中を察するに余りあるものがあります。