統一教会教祖文鮮明の脱税
2022/12/06
統一教会は、我が国で1960年代に勝共連合として登場し、街頭での布教活動や学生サークルなどを積極的に展開して、学生信者を獲得することに成功しました。その後、それらの信者を中心に日本社会への浸透を図り、壷や塔などを信仰の対象として高額で買わせて、信者の財産を根こそぎ寄附をさせ、韓国の本部に送金させました。学生サークルなどを通じて信者となった女子学生たちの中には、大学院生などの高等教育を受けた女性たちもいましたが、彼女たちに求められたのは、合同結婚式で韓国人男性と結婚して、嫁不足に悩む韓国の農村に嫁ぐことでした。
文鮮明の長男の妻であった洪蘭淑は、『わが父文鮮明の正体』(文芸春秋社刊)の中で、次のように述べています。
「日本は帝国的カルト発祥の地と言ってよい。十九世紀、日本の天皇は神聖を宣言され、日本の民衆は古代の神々の子孫であると宣言された。第二次世界大戦後の一九四五年、連合国により廃止された国家神道は、日本人にその指導者たちを崇拝することを要求した。権威に対する従順と自己犠牲は、最高の美徳と考えられた。したがって、文鮮明のようなメシア的指導者にとって、日本が肥沃な資金調達地であることには何の不思議もない。」
統一教会が日本の宗教法人の認証を受けたのは1964年ですが、統一教会のそうした活動は、税法上は特に問題があるとはされず、脱税事件などで摘発されることはありませんでした。
しかし、教祖の文鮮明は、1981年10月に米国において司法省から脱税容疑で起訴されています。1973年から75年までの3年間に個人名義の銀行預金約160万ドルの利息約11万2,000ドルなど、合計16万ドルの所得申告を怠っていたというのです。翌年82年7月には陪審員による第一審が行われ、懲役18か月、罰金2万5,000ドルの有罪判決が下されます。83年9月の連邦控訴審でも再び有罪判決が下されました。そして84年5月、連邦最高裁判所で上告棄却となり判決が確定しました。その結果を受けて、文鮮明はコネチカット州のダンベリー刑務所に収監され13か月間服役しています。