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マラソン塾

番外編 最強市民ランナー川内優輝①

2018/05/11

 先日、ボストンマラソン優勝⇒プロ化宣言、と世間を大きく騒がせた『最強市民ランナー』こと川内優輝選手。いまやマラソンの世界でもっとも知名度のある選手といえますが、私にとっては10年以上の付き合いのある『川内くん』です。今回はそんな川内選手について、松本との関わりも含めて書いてみたいと思います。

<学習院大学時代 ~弱小校で強豪校の選手と戦うために~>
 川内選手は鷲宮中、春日部東高と走り続けてきましたが、高校時代は故障を繰り返して思うような結果は残せず、大学は箱根駅伝に出場するような『強豪校』でなく、陸上の世界では『弱小校』ともいえる学習院大学へ進みます。

 そこで出会ったのが津田誠一監督で、指導の特徴は『頑張り過ぎない』こと。※著書もありますのでご参考にしてください。(⇒https://www.amazon.co.jp/dp/B00W4O6CS4

 その指導もあり、大学時代に彼は大きく成長します。1年目、2年目と毎年自己ベストを大きく更新し、大学2年時には箱根駅伝に『関東学連選抜』の一員として出場(6区、区間6位)。3年生では出場を逃すも、4年生で再び6区を走り、区間3位の成績を残しています。

 なお、私と彼が出会ったのは、私の記憶では2006年、私が大学3年、彼が2年の頃だったと思います。ともに『弱小校』にいながら『強豪校』の選手と戦うべく、東大・学習院大・横浜国立大学で合同練習をしたのがきっかけです。

 メニューは3000m+2000m+1000m。3000m、2000mと川内くんに完敗したので、1000mは意地でトップを獲った記憶があります。

<テグ世界陸上まで ~公務員ランナー・市民ランナーの星に~>
 2009年に大学卒業後、埼玉県庁に就職。いまや代名詞になっている公務員ランナーとしての道へ進みます。

 社会人1年目の東京マラソンでは、前回お伝えの通り、雨・雪という極寒のコンディションで自己ベストを5分短縮して2時間12分台。翌年の東京マラソン2011では2時間08分台と更に大きく更新し、日本人トップの3位で一気に世界選手権代表まで昇りつめました。

 テグ世界陸上では日本人3番手の17位でフィニッシュし、上位3人の結果で表彰されるマラソン団体で銀メダルを獲得しました。(※2013年のモスクワ世界陸上からは団体表彰はなくなりました)


 なお、私は2008年4月~2011年1月まで実業団生活を過ごした後、2011年より市民ランナーとして走り出したところでした。川内選手が週末に駒沢公園で合同練習を行っていると聞き、2011年春以降は定期的に参加して20~30km走を一緒に行いました。※川内くんの特集VTRで合同練習の模様が流れるとき、当時の私の姿も映ったりしています。

<ロンドン五輪選考落選から、自己ベスト更新へ>
 2時間08分台のタイムを持ち、世界陸上の代表になった川内選手。様々な大会へ招待されるようになり、特徴の1つである『毎週のように大会出場』する独自のスタイルを確立させていきます。週末の大会出場が増えた結果、私としては合同練習が減って少し寂しく感じました(涙)。

 ロンドン五輪の選考となった2011年の福岡国際では2時間10分を切って日本人トップ。五輪代表の有力候補となりましたが、2か月後の東京マラソンにも再チャレンジします。

 相性も良く、期待された東京マラソンでしたが、2時間12分台で14位と残念な結果に。「期待に応えられず誠意を示したかった」と大会翌日に五厘刈りで登場して世間を驚かせました。

 以降、再び走り出した川内選手は無類の強さを発揮。2013年2月3日の別府大分で2時間08分15秒の大会新で優勝、2週間後の熊日30kmでは1時間29分31秒の自己ベストで優勝、翌月のソウル国際マラソンでは2時間08分14秒の自己ベストで4位と、圧倒的な走りを披露しました。

 ちなみに私もこの時期に自己ベストをマーク。2013年2月10日の延岡西日本マラソンで2時間13分38秒を出しましたが、その前週に別大で快走した川内くんからは『次は松本さんの番ですよ!』と言われていたのでした。

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